
1人当たりのGDPで日本を抜きアジアでトップクラスに豊かな国とされるシンガポール。
驚きの経済発展をとげた最強の都市国家はどんな歴史を辿って現在に至ったのか?
その歴史は容易なものではなかった。
1965年にマレーシアから分離独立した華人中心の都市国家は、英語教育エリートによる一党支配の下、国際加工基地・金融センターとして発展した。
それは、表現・言論の自由を抑圧し、徹底的な能力別教育を行うなど、経済至上主義を貫いた“成果”でもあった。
この本は、英国植民地時代から、日本占領、そして独立し現在に至る200年の軌跡が描かれている。
シンガポールの歴史を知りたいのなら面白い本となっている。
「物語 シンガポールの歴史 エリート開発主義国家の200年」のここが面白い
シンガポールってどんな国?
シンガポールは、政治の安定と高い経済水準を誇る、赤道直下の東南アジアの国である。
都心部の街並みは日本の都会とほとんど変わりがなく、東南アジアの他の国々とは全く違った様相となっている。
国土は東京二十三区よりも少し広い程度で、人口は横浜市と同じ程度の小さな国である。
また、国民は、華人、マレー人、インド人などで構成をされている。
この多民族国家は、驚くべき経済発展をとげてきた。
そこには様々な秘密が隠されていた。
国家目標としての都市発展
シンガポールでは、”経済発展”を国家の最大の目標としておいてきた。
政治や社会はそのための手段と見なされ、時に政治や社会の自由を制限してでも経済発展を優先してきた国である。
この政策が身を結んで、200年前はほとんどジャングルだった熱帯の無人島が、移民が集まりアジアトップクラスの発展をとげてきた。
表現・言論の自由を抑圧してでも経済発展を優先してきたその政策が、シンガポール発展の秘密の一つである。
教育制度と官僚制度
シンガポールでは、日本とは全く違った特異な教育制度を使っている。
それは、徹底的な”エリート教育”である。
成績優秀な生徒と出来の悪い生徒を選別して能力別にコース分けを行っているのである。
選別試験は小学校の時点から始まり、全ての生徒は小学四年生終了時に全国統一テストを受け、成績別に3つのコースに別れる。
このような”選別”を何度も行っていくことによって、エリートを選び抜いていくのである。
敗者復活のチャンスはほとんどない。
結果として、最も成績がよかった人間たちを官僚に引き抜き、政治をさせるのである。
人間は才能ある者とない者に分かれ、政府の仕事はそれを早く見極めるとにあると確信 し、この考えに基づいて教育制度が制度設計されている。
成績の悪い者には、これ以上教育は無駄という「効率」が、教育でも原理とされている のである。
教育制度一つとっても日本とは全く違った面白い国家となっている。
終わりに
というわけで、シンガポールの200年の歴史と経済発展の秘密を明らかにした本である『物語 シンガポールの歴史 エリート開発主義国家の200年』を紹介した。
シンガポールに関する大枠をしっかりと掴める本となっている。
日本とは全く違った制度の数々に、面白さを感じることは間違いない。
『物語 シンガポールの歴史 エリート開発主義国家の200年』は、シンガポールに関して少しでも興味がある人には、おすすめの新書となっている。
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